原爆の父の言葉

3月29日に日本公開されるアメリカ映画『オッペンハイマー』。世界初の原子爆弾を開発した「原爆の父」として知られる理論物理学者ロバート・オッペンハイマーの生涯を描いた伝記映画ですね。アメリカ本国ではすでに前年の7月に公開された超大作にも関わらず、日本公開が8ヶ月も遅れることは極めて異例なことです。この作品の題材が日本人にとってあまりにも重大であることは言うまでもありません。日本公開にあたっては様々な検討と配慮がされたことでしょう。当然のことと言えます。

映画の公開に先立ち、NHKが『マンハッタン計画 オッペンハイマーの栄光と罪』と題したドキュメンタリーを放送していました。第二次世界大戦中にアメリカが最新兵器、原子爆弾の完成を目的とした〈マンハッタン計画〉に開発責任者として参加したオッペンハイマーの軌跡を紹介したものです。そしてこの番組を観て気づいたことは、オッペンハイマーが残した言葉の数々から読み取れる彼の心の変化がある出来事を境に一変していることです。それは原子爆弾が投下される前と後。

ー 〈マンハッタン計画〉参加時に

「このプロジェクトはこれまでの物理学の集大成と言えるだろう 結果を出せる軍事兵器を戦争に間に合うように作る ナチスが存在する以上やらないわけにはいかない」

ー ドイツとの原子爆弾の開発競争時に

「私たちはドイツの動きを知っていた そして原子爆弾の開発が引き分けに持ち込まれでもしたら 何が起こるのかも分かっていた」

ー そして広島、長崎に原子爆弾が投下されたあと、被爆地を視察した研究者たちの報告会で

「原子爆弾が善意ある武器かのように語るな!」

ー 戦後、トルーマン大統領にホワイトハウスに招かれた場で

「大統領閣下、私は自分の手が血で汚れているように感じるのです」

ー アメリカ政府から感謝状を渡される式典で

「今、誇りは 深い懸念とともにあります もし原子爆弾がこれから戦争をしようとしている国々の武器庫に加わることになれば いつか人類はロスアラモス(原子爆弾の開発研究所)とヒロシマの名を呪うことになるでしょう」

ー アメリカの学会で

「皆さんの中には長崎の写真を見て 工場の大きな鉄の梁(はり)がねじまげられ 破壊しつくされたさまを見た方もいるでしょう 焼き殺された人たちを 広島の残骸を見た方もいるでしょう 核兵器は侵略の兵器 奇襲と恐怖の兵器に他なりません」

ー 1960年9月の来日時のインタビュー、記者から原爆に関わったことを後悔しているか?と問われ

「後悔はしていない それは申し訳ないと思っていないということではない」

ー 彼が他界する2年前、1965年のインタビュー、記者から今も良心の呵責に苦しんでいるように見えますが?と問われ

「私たちには大義があったと信じています しかし私たちの心は完全に楽になってはいけないと思うのです 自然について研究して その真実を学ぶことから逸脱し 人類の歴史の流れを変えてしまったのですから 私は今になっても あの時もっとよい道があったと言える自信がありません 私にはよい答えがないのです」

〈戦争を終わらせた英雄〉とも称され、〈悪魔の兵器の生みの親〉とも呼ばれるロバート・オッペンハイマーの功と罪、善と悪について語ることはできません。しかしながら彼が原子爆弾が炸裂したあと、人生の終わりを迎えるまで深い苦悩を抱えていたこと、それは罪悪深重を知り、お念佛「南無阿弥陀仏」にすがる姿のようにも思えてなりません。

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