仏教における重要な漢字一文字に「悲」という字があります。この「悲」という漢字を含む楽曲を今回取り上げてみようとネット上の楽曲一覧サイトを調べてみたところ、あまりに多くの「悲しみ」の歌があることに驚かされました。
悲しみが止まらない
悲しみ2(TOO)ヤング
悲しみにさよなら
悲しみの果て
悲しみは雪のように
悲しみよこんにちわ
…etc.
記憶に残るヒット曲のごく一部だけでもこれだけ挙げることができます。そして「悲しみ」にまつわる歌の数々の中でも仏教のお教えにかなうこの一曲といえば、何をおいても、
『悲しみは雪のように』
(1992年、作詞・作曲:浜田省吾)
ということになりそうです。
人に降りかかる悲しみとはまさに降り積もる雪のようなもの。いつしか春を迎えるように知らず知らず悲しみは溶けてなくなり、やがて冬が訪れるように悲しみがまた降り積もる。悲しみや苦しみとは人生を通して季節がめぐるように繰り返されるものであることを象徴する見事なタイトルといえます。
この曲の歌い出しの歌詞は、
「君の肩に悲しみが 雪のように積もる夜には」
悲しい思いをしているのは〈自分〉ではなく〈君〉であると歌います。「悲しい」という感情には二通りの解釈があります。一つは自分自身が嫌な思いをしてつらく悲しいということ。さらに一つは他のいのちの苦しみを我がことのように感じる悲しみ、共感する心です。「悲しい」思いはできることならしたくないものです。それでも他の人の痛みや悲しみを知ることで感じる「悲しい」気持ちとはこの上ない優しさをともなった心といえそうです。
仏教には「慈悲(じひ)」という言葉があります。この場合の「悲」という字はあわれみの心、いつくしみの心、人の抱える苦しみをなんとかせずにはおれないと思う心を表しています。その「慈悲」という優しい心で歌のごとく〈君〉に寄り添ってくださるのが阿弥陀さまであります。
『この慈悲 始終なし』
(歎異抄より)