仏の顔も三度

ー どんなに穏やかな人でも、面と向かって顔をなでるような失礼なことを三度も繰り返されては怒りだす。これまで大目に見てきたことも、度重なればただではすまないというたとえ。

このことわざを聞いて、
「三度?世の中そんなに甘くない」
そう思われる方もいるかもしれません。
たとえば職場で、
「同じ失敗を繰り返さないこと」
上司にそう指導されれば、部下は二度目のミスは許されないと肝に銘じるものです。指導を受ける者であれば、それは当然の心構えといえます。「同じミスが二度目も許される」と取れるこのことわざは、やはり違和感を覚えるものかもしれませんね。

そこでよくよく考えてみると、「仏の顔も三度」が、指導者側に向けられたことわざだとすれば、どうやら腑に落ちるところがありそうです。

部下が同じミスを繰り返したとき、上司は自らに問い直すべきかもしれません。
自分はミスの原因を調べたか?
自分は部下と一緒に対策を考えたか?
自分は部下にやって見せたか?
部下の二度目の失敗は、指導者側の一度目の失敗だと謙虚に受け止めることも必要です。このことわざは、指導者に対して、「仏の顔を三度」まではしなさい、という解釈もできそうですね。

ところで、阿弥陀様はといいますと、二度も三度もありません。どんなに無礼をはたらいた人間でも、分け隔てなく何度でもお救いになられます。
「仏の顔は何度でも」
これが正解です。

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