「苦痛」と「痛快」

「苦痛」
ー 生理的、心理的になんらかの損傷が与えられるときにおこる苦しみ・痛みの感覚あるいは状態。

「痛快」
ー 気持ちが晴れて大変愉快なこと。また、そのさま。現在では胸のすくようなことを見聞したり、行ったりして、非常に気持ちがいいさまにいう。

わたしたちが使い慣れている、このふたつの言葉、国語的な意味ではそれぞれ対義語になります。
痛みが苦しいと書いて「苦痛」。そして、
痛みが快いと書いて「痛快」。
しかしながら、ここで疑問を覚える方もいるかもしれませんね。
痛みが快いとはどういうことなのか?
それが大変愉快なさまとはどういうことなのか?

お釈迦さまのお教えの中に、
人には、人生でどうしても避けることができない苦しみとして、生・老・病・死の〈四苦〉というものがあります。そして苦痛とはこの〈四苦〉の中にあるともいえます。この〈四苦〉という事実に向き合い、受け入れることができて、はじめて「真に生きる」ということができるといわれます。そしてこの「真に生きる」に伴う、痛みという名の衝撃こそが「痛快」といえるかもしれません。

たとえば「老い」と向き合うとき。
迎えた誕生日に歳を取ったと空しく人生から引き算すれば、それは「苦痛」かもしれません。しかし、歳を重ね生かさせていただいたと足し算できれば、それは「痛快」に感じるものです。

同じ「痛み」なら、ぜひ「痛快」に感じたいものですね。

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