小学生時代の夏休みの思い出といいますと、わが家ならではのエピソードがあります。毎朝、町内のラジオ体操から帰宅しますと、祖父とともに本堂の阿弥陀さまのご前で正座をして朝のおつとめをします。「足が痛いよ、遊びに行きたいよ」と思いながら続けていましたが、いつしか足は痛くなくなり、やらないと落ち着かない気分にもなり、やがては当たり前の自然なことになっていました。このとき読誦した「お経」が、皆さまご存知の「帰命無量寿如来 ー」で始まる『正信偈(しょうしんげ)』であります。
「お経」と申しましたが、『正信偈』は、お釈迦さまの説法から生み出された経典ではありません。浄土真宗、宗祖・親鸞聖人が著したものが『正信偈』ですね。
親鸞聖人の代表的な著書に、「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」があります。親鸞聖人が、「仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)」の教義に基づき、阿弥陀如来の四十八願の内容を考察したものであり、この第二巻目の巻末にある百二十行の偈(げ=仏の功徳をたたえる韻文形式の詩)こそが『正信念仏偈』、すなわち『正信偈』であります。
この機会に、冒頭部分の現代語意訳を紹介しますと、
「帰命無量寿如来 南無不可思議光」
ー 限りない命(無量寿)と、限りない光明(智慧)をその本体とする阿弥陀如来に、心から帰依いたします。
「五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方」
ー 阿弥陀如来がまだ法蔵菩薩という名で修行しておられるときに建てられた誓願(本願)は、長い間(五劫)かけて思索され、諸仏の国土(浄土)のよいところを選びとり、四十八種の誓いとしてまとめられました。かさねて法蔵菩薩は名号(南無阿弥陀仏)があらゆる世界の人々に聞き届けられ、また称えられるようにと誓われました。
とあり、さらに続いていきます。
浄土真宗のお寺では、お葬式のときにも、毎日のおつとめのときにも読誦され、ご門徒にも配布される「真宗大谷派 勤行集(赤本)」では最初のページから記されるお馴染みの『正信偈』。
このブログでほんの少しだけ身近に感じていただけたら幸いです。