かの偉人と親鸞聖人

浄土真宗のお寺の本堂というものは概ね同じような造りになっているものです。本堂の奥半分の内陣(板の間)の中央にはご本尊である阿弥陀さま(阿弥陀如来像)が安置されています。そしてさらに後方の左右両側にもお仏壇が並んでいることにお気づきかと思います。浄土真宗では法式規範に基づき中央寄りの左右脇壇(わきだん)には宗祖 親鸞聖人御影像と本願寺第八代 蓮如上人御影像をお掛けし、内陣の外側の左右余間(よま)には七高僧連座御画像、そして聖徳太子御画像をお掛けすることとされています。

「浄土真宗のお寺と聖徳太子?」

じつは日本人の誰もが知っている歴史上の偉人、聖徳太子と浄土真宗開祖 親鸞聖人との深いご縁については意外と知られていないものかもしれません。

聖徳太子は西暦で574年生誕、622年死没とされる飛鳥時代の皇族であり政治家ですね。そして一般的に知られる聖徳太子の功績といえば、遣隋使を派遣して中国大陸の文化や制度を取り入れたこと、冠位十二階や十七条憲法を定め天皇中心の中央集権国家体制の確立を図ったことなどがあげられます。そして何をおいても重要なことは日本に伝来して間もない仏教(538年)を厚く信仰してその興隆に努めたことといえます。有名な十七条憲法の第二条では「篤く三宝を敬う。三宝とは仏、法、僧なり」と説き、「世間虚仮唯仏是真(せけんこけゆいぶつぜしん)」(世間は虚仮なり、唯仏のみ是れ真なり)という言葉も残されています。

親鸞聖人が比叡山で修行をされていた29歳のとき、六角堂での百日間の参籠の中で聖徳太子の夢告が示されたそうです。親鸞聖人はそれをきっかけとして法然上人の門下に入ることとなります。つまり聖徳太子が親鸞聖人を法然上人のもとに導いたことになります。さらに親鸞聖人の晩年の著述には『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』に収められた「皇太子聖徳奉讃(こうたいししょうとくほうさん)」という聖徳太子を讃える11首の和讃があります。この中の一首、

「大慈救世聖徳皇 父のごとくにおはします
大悲救世観世音 母のごとくにおはします」

(大慈の救世観音の化身である聖徳太子は、父のようでいらっしゃる。大悲の救世観音は、母のようでいらっしゃる。)

親鸞聖人が生涯を通じてこれほどまでに讃えておられたのが聖徳太子であります。このような親鸞聖人との深いご縁から浄土真宗のお寺には聖徳太子の御画像が安置されているんですね。

3年前の2021年は聖徳太子の1400年御遠忌でもありました。1400年前に残された日本仏教における聖徳太子の遺徳は宗派の枠を越えて深く偲ばれるものであります。

お問い合わせ
PAGE TOP